川崎登戸の通り魔事件で考える報道の在り方について
この手の事件があるといつも不快になる。
それは犯人の身勝手さとか、被害者家族の無念さとか、そう言う事じゃない。
いや、そういう事柄はそもそも当然の事で、あえて言う必要も無い事だろう。
では何かと言えば、シンプルにマスコミの無神経さに、だ。
考えても見て欲しい。
家族や友人と言った近しい人が亡くなった。
そう言う経験がまだない人は想像してくださいな。
その相手に愛情があればあるほど、亡くなって数日は現実を受け入れられない。
私も経験があるが、悲しいんだろうけど、何故か泣けなかったりする。
泣くと死んだことを認めるみたいで嫌だとかあるのかもだけど、それ以上に感情がなんかこうおかしい感じになっている。
私の場合は私以外の家族がボロボロになり、まともに考えられるのが私のみだったので、母親がすべき喪主を自分が引き受け、その役割の多さに忙殺されながら、結局父親が逝った悲しみに泣けたのは1か月後だった。
それを前提に昨今のこの手の事件への報道を見ると、まっさきに関係者にコメントを求めたり、映像を使ったりするわけで。
例えば空撮映像でモザイクがあったとしても、遺体らしき物を報道したり。
なんだろう、このニュースを作っている奴は人間の感情を持ち合わせていないんだろうか? そう不思議に思うのだ。
ワイドショーのアンカーマンやコメンテーターが沈痛な面持ちで事件についての見解を述べる。
あのね、悪いけどそんなのは求めないんだよ。
こういうニュースはね、事実のみ述べてくれればいいの。
こういう事件がありました、ってね。
関係者のコメント云々やりたけりゃ、最低限49日が終わった後で求めなよ。
知る権利云々、報道の意義云々、そりゃあんたらの建前だけだわ。
じゃお前らは当事者の心を慮るという良心とか倫理観は無いのかよ。
正直、報道なんてのは、もう時代遅れなんだ。
こと地上波に至っては確実に。
お前らの役割はもう無いんだよ。
時代錯誤なんだよ。お前らの意識は昭和のままなんだよ。
これだけ自前のPCやスマホが普及した現代。
情報が欲しい時にTVに頼る奴はいないんだ。
報道のさして心に響かない手前勝手なオナニー番組なんか誰も見ないよ。
ネットニュースでユーザー同士がコメントを付けあう方が需要があるんだ。
何故かってそりゃお前、マスコミのやってきた事で信頼を失っているからだよ。
地上波のカラクリなんかもう誰もが知っている。
バイキングとか昼のワイドショーの偏向報道に騙されるお茶の間の人は、悪いけど時代に置いて行かれたオバカさんしかいないんだ。
もうね、時代は若い人達に移行しているんだよ。
若い人と言うか、若い人たちが作ったカルチャーやテクノロジーがメインストリームなの。
私もそうだけど、オッサンオバハンはメインじゃないんだよ。
呪詛が漏れたねごめんなさい。
結局ね、答えはシンプルなんだ。
報道も、刑事裁判の判決も、ぜーんぶ被害者を守ろうなんて気が無いって事。
この前提が見直されないなら、報道に存在意義は無い。
最後に被害者のご冥福をお祈り申し上げます。